葬儀は仕様の多様化、また、このコロナ禍での規模の縮小や制限など変化を遂げていますが、故人への弔う気持ちには縮小はありません。その気持ちはとても大切なことだと思います。そして何より、亡くなった人を身近で感じ、『葬儀』という意味そのものを継承していくことが必要です。
「おじいちゃんのお葬式はパパとママが行くから学校に行っていいよ」
「うん。わかった。」
このような会話を相談時に聞くことがあります。
おじいちゃん、おばあちゃんの葬儀を経験してわかること。人の死がどのようなものだったか。その時の記憶がどのように残るか。子供たちが大人になり身内の死を経験した時にどのように映るのか。そんなことを気にしてしまうのは私が葬儀の仕事に従事しているからでしょうか。
私は葬儀の専門学校で教壇にも立たせていただいておりましたが、春、入学してきた新入生にいつも聞いていたことがあります。
「葬儀に参列したことはありますか?」
「お墓参りに行ったことはありますか?」
「急須でお茶を淹れたことはことはありますか?」
葬儀に参列したことのない学生はほとんどいませんでしたが、お墓参りに行ったことがない学生が年々増えていたことに驚きました。急須でお茶を淹れたことがない学生はクラスで半分以上いたこともあります。
時代と言えばそれまでかもしれませんが、葬儀や弔い、供養を知る(感じる)ことは、親から子へ。子から孫へと引き継いでいく特有の文化です。
無論、葬儀には参列のルールはありません。さらには、土着文化に根付き地域性の強いもです。そして多様化時代の選ぶ時代です。
しかし、
『見たことがない>意味がわからない>だから葬儀はやらない>いらない』
子供たちがこの感性を持ったまま大人になってしまったら、いささか寂しくありませんか?
葬儀の意味、継承の大切さをお伝えしていくこと。
葬儀の提供サービスとは別に、私たち葬祭従事者に課せられた役割ではないかと思っております。